Archive for 8月 2010
大きいことと小さいこと。
今まで、大きいことというのは、核になる考え方や、発想そのものが大きくて、小さいこととは根本からして違うものだと考えていた。
確かに、スケールの大きな事は、発想の仕方やアイデアが素晴らしいものが多いのだけれど、基本的には小さいことも、その成り立ちは大きいことと同じだったりして、それがそのまま大きくなったり、周りに色んなものがくっついて大きなものになったりしていることが多いと思うようになってきた。
この考え方だと、例えインディペンデントでも、しっかりとした成り立ちと、充実した内容があればメジャーのものにも太刀打ちできるんだろうし、むしろ時代や環境はインディペンデントにとっては追い風が吹いているような気がする。
大きいことを成し遂げるというと、突飛な行動、思いきった行動をイメージしがちだが、実のところは日常の中でやるべきことをスピード感を伴って積み重ねながら達成していくってのが本当のところじゃないか?って考えるようになった。
そう考えると、今まで途方もなく遠く感じていたことがそんなに遠くないと思える。
その実感こそが、勇気ある一歩を踏み出した人の成長の証なのかもしれない。
こっぴどい夢とそれに大差のない現実
夢の中で、僕には長く付き合った彼女がいるのだけど、彼女の心にはもう僕はいなくなって別の人がいるわけです。
なぜかその相手は魔裟斗で、オトコっぷりも腕っぷしもまるで歯が立たず。。。
完膚なきまでにボクは叩きのめされて、彼女は魔裟斗のたくましい腕の中に包まれていくところで目が覚めた。
いやいや、お見事でした。
今年に入って、ボクは多くのものを失った。バンドがなくなって、好きな人にもフラれた。なんだかんだで貯金もなくなった。
だけど同時に新たな出会いもたくさんあった。母校の最後を一緒に迎えた先生方や映画を作った仲間。きっと、差し引きゼロってとこだろう。
夏の終わりに今年を振りかえったら、この夢はまさしくこれまでの自分を象徴してると思った。残暑が厳しいのがせめてもの救いで、これで秋の風が吹いたら、そのままどっかに飛んでいきそうだなぁ、、、なんて思った。
だけど、大切なのはここから。夢の中の自分も、現実の自分もここからどうするか?
8月の上映会と9月の映画公開に向けて、失ったものは失ったんだから仕方がないさってちゃんと自分を納得させて、また新たにスタートを切りたい。
自分の物差しの目盛りを見失わないように、また一歩ずつ進んで行きたいと思う。
夏はまだ終わっていない。
一生懸命になるということ
先日のブログは意味不明ですね。いやいや。お恥ずかしい。酔ってはなかったのですが、真夜中で壊れていたのでしょうか。
一生懸命になることに躊躇する人が多いと思う。一時ほど、クールがかっこいいって風潮は薄れているような気もすが、、、。だけど、自分がなかなか上手くいかない時に、隣でまっすぐに一生懸命になれている人がいたら、ものすごく尊敬するか、やっかんですねるかどっちかだなーって自分は思う。
「一生懸命にはなれないなー。」なんて言ってる人が、案外心の中ではそういう場面を求めていたりするんじゃないのかなーなんて考えてみたりする。
でも、そもそも一生懸命かどうか?って他人じゃなくて、自分で振り返って決めるもんかもね。人間生きてるだけで、すでに頑張っているようなところがあるもんなー。
物事の流れ
基本的には始まりから終わりに向かっているものだ。。。
物事が終わりに近づいてくると、何となくそれが分かるというのは人間の防衛本応なのかも知れない。そんでもって、終わった時に完全に傷ついてダメになってしまわない様に人間は準備するんだ。きっと。
終わりに近づいているんだ。。。日々。
恐怖と闘いつつ明日へ。
さよならの贈り物を君へ。。。
なんて気取ってみたりして(笑)。
だけど本気で時々恐くなる時があって、今日眠って明日が来なかったらどーしよ?とか考えてしまう訳です。そうなると眠るのが恐くなったりする訳です。
今ちょうど、自分の人生の中で(その道のプロの人にしてみればたいした事ないけどね、、、きっと。)これまでにないくらいの大作を作り上げていて、それをひとつの区切りにして、次に向かえたらなーって思っています。その区切りが、、、さよならの贈り物って訳ですね。劇場版タッチのサブタイトルと同じです。この贈り物が包装されて、リボンをかけられて、袋に入れられてしまうともう渡すしかなくなってしまう。。。渡してしまうと、自分の中で終わりを迎えてしまう。渡してしまうべきなのに、ひとつひとつの行動が遅くなってしまう感じ。。。
今はそんな日々であります。せっせと、さよならの贈り物をこしらえているのであります。