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みなと応援村活動報告10
6月11日、12日と石巻市でお手伝いをしてきました。
先ずは今回新幹線で現地入りしましたので、そのルートをご紹介します!復興支援切符がとてもお得ですが、東京地区で発売中の10000円でのり放題の切符は、前日までに購入しなければならない、また期間限定の切符ですので、ご注意下さい。
支援切符についてはこちらを始めネットに情報が出ていますので、事前にご確認下さい。 http://www.jishingosai.com/archives/cat6/jr/
◎JRを使った石巻への入り方例
(行き)
東京〜東北新幹線〜仙台〜臨時路線バス〜石巻駅
仙台での乗り換えルート:新幹線からバス
新幹線の時刻表はこちら。
http://www.ekikara.jp/newdata/ekijikoku/1301011/down1_13101011.htm
1、仙台駅を出てすぐ正面に見えるロフトに向かって歩きます。

2、ロフトに向かって右側にさくら野百貨店というデパートがあります。
2、小牛田駅にて東北本線仙台行きに乗り換え。
仙台到着20時05分。
運良く20時12分発のやまびこ号に乗車。
時間はどちらもほとんどかわらないかも。汽車は時間が読めるのが利点です。タイミングと接続が合えばJRが良いかもです。
偶然ですが今回の行きはバス、帰りJRっていうのはなかなか良い組み合わせかも知れません。と言うのは、行く前の検索では石巻線に乗って東松島駅から代行バスというルートが出てくるのですが、これよりはみやこーバスさんの臨時路線バスの方が1時間早く着きます。
帰りは新幹線との乗り換えがスムーズで時間の読めるJRだとイレギュラーがないように思いました。
◎現地での活動報告◎
6月11日(土)19時頃石巻到着。就寝。
6月12日(日)持参物資 ラジオ、虫除け
9:00〜 吉野町3丁目付近の側溝のドブさらい。
お手伝いの体験を希望していた4名の活動体験に同行しました。体験の依頼を受け、応援村と連絡を取り合い当日の作業をコーディネートしてもらい、簡単に活動の説明をして後は一緒に1日作業するというもの。
作業を体験された方々がお手伝いをしたくてもきっかけがないという方を紹介してくれるようになると、人手が増えると思いお話を受けました。
午前中はひたすらドブさらいをして昼食。昼食後も午前中の続きをして終了後に別の側溝へ。そして、物資配布の抽選で冷蔵庫が当選したお宅に冷蔵庫の搬入を行いました。
皆さんに提供して頂いた物資のうち、冷蔵庫や電子レンジといったものは、希望者が申し込みをして、その後抽選。当選した方に搬入するという仕組みになっています。なるべく公平になるように、色々とルールを作ってやられているようです。この日は冷蔵庫が2台、電子レンジが1台が抽選になり、当選された方々はとても喜んでおられました。かわってお礼を申し上げます。
また、服はフリーマーケットのように並べて、皆さん好きなものを持って帰るという風にやっていました。衣類に関してはニーズが満たされている様子。各地からTシャツもたくさん届いていました。夏場を迎えてもまだまだ片付けの作業がたくさんありますので、タオルのニーズがありました。ニーズに関しては時間の経過によって変化していくので、ここに記載するのは控えようと思います。かわりにツイッターで募集をかけようと思いますので、ご協力よろしくお願いいたします。
午後は冷蔵庫の搬入後、吉野町のAさん宅の粗大ゴミの搬出をして作業終了。
湊、吉野町に関しては、におい・はえの大量発生が一時期よりもマシになっていました。理由は分からないのですが、「頻繁に消毒に来ている。」(住民の方談)との事なので、そういった事が功を奏しているのかもしれません。
また道路の状況も改善していました。湊小学校付近から大門崎のあたりまできれいに舗装されていたので、車もずいぶん走りやすくなっていました。
その一方で、民家の泥だしのニーズは非常に多いのと、公道の側溝の泥だしがあまり進んでいないのが気になりました。また、吉野町に比べて湊、大門崎、明神といったあたりは片付けが進んでいない。これにはいくつかの要因があり、1・石巻市のゾーン制定で水産加工ゾーンに指定され、新築が禁止に。実質的には居住禁止区域に近い状態となっている。 2・近隣の水産加工工場から流出した劇薬が粉塵とともに舞っている為に、ボランティアの方が派遣されない。といったあたりが主な要因となっているようだ。
今回体験された方々も地域の方とたくさんコミュニケーションをとり、良いペースで活動をしていかれたのではないか?と思う。「周りで活動をしたいと言っている人を誘ってまたくる。」と言って帰られました。
みなと応援村の特徴は、地域の方々との関係性にあると思う。被害の出た地域が広範囲な為、応援村の活動はとても局地的なものなのだが、局地的である事の利点をうまく活かしている。コンパクトで効率的で、無理のないペースで顔と顔が見える透明性のある活動が特徴ではないかと思う。
常駐している村長が常に現地でニーズを拾い上げて、こちらからの入村者と照らし合わせてコーディネートする流れはとてもスムーズだし、効率的だと思う。
こういった小さなグループが局地的な活動ができるのは、全体を見渡して大きな支援をしている団体があるからこそで、それぞれがそれぞれの特性を把握した上で、うまく連携をとっていければもっと効率的な活動になってくると思うのだが、そこのところは”まだまだ課題がある”というところではないか?というのが私見だ。
◎ボランティア躁とボランティア鬱◎
このような言葉がある事自体僕は知らなかったんですが、、、あるんですね。
みなと応援村には先月はのべ180人ほどの入村者がいました。入村される方も本当に様々な方がいらっしゃる訳で、中には気持ちが辛くなってしまった方もいたそうです。
活動をする期間が長くなると、活動をする側の心のケアの問題も出てくる。僕も何度も石巻に足を運んでいて、自分のキャパシティを超えそうになるくらいに没頭してしまう時期も正直言うとあった。そのときに、代表の千田さんに何度も「先は長い頭を冷やせ!」と言われた。結果的にはこれがあったおかげで僕は今も活動を続ける事ができている。きっと僕は躁状態になっていたのだろう。
僕自身活動をしている時に、残念ながら被災者の方と支援者の方がモメてしまったり、また団体同士のいざこざみたいなものを目にしたり、耳にしたりした。しかし、「なぜ自分はここに来ているのか?」という原点に立ち返ると、このような事はあり得ないのではないか?と思う。常に自分たちは住民の方々の半歩後ろで寄り添うような活動を志すべきではないか?と思う。躁状態に陥ってしまうと、この初心を忘れてしまい結果的にそれは支援と呼べるものではなくなってしまうのではないかと感じるのであります。
僕は東京に帰ると2〜3日くらい、風呂上がりに同部さらいのとき等にしているにおいが、どこかからしているような気がして、しばらくクンクン・クンクンとしてしまう時がある。これはきっと精神的なところから来ているのだと思う。
そういう時はいつもよりたくさん寝たり、映画をたくさん観たりする。
日常生活ではあまり遭遇しない光景だったり、においだったりの連続と長距離の移動などで心理的ストレスが知らない間に蓄積してしまっているのだろう。そして帰ってきた時にどんと落ち込んでしまうケースがあるそうだ。
目一杯すぎずに腹八分目の活動こそが大切なのかもしれない。活動をする方にだってまずは自分たちの生活がある訳でそこを崩してまでの活動は、住民の方々も望んでいないと思う。地域の方々とよりよい関係性で、効率的な活動をする為にも、無理なく自分の心と体を大切にしながら活動を続けていく事が大切なのだと思った。
ハンブルグ映画祭に参加してきましたー。
昨年製作した『あまっちょろいラブソング』が、ドイツ、ハンブルク日本映画祭にて公式上映されることになった。長編の映画のプロデュース2作目にして海外映画祭に呼んでもらえるなんて、とても光栄な事だ。
とはいえ、国内の状況を考えると正直最初はハンブルクに行くという発想は無かった。ま、実のところ飛行機が恐いのもあったんだけどねー(笑)。でも、「なるべくたくさんの世界を見て、そしてたくさんの人と知り合う事で君の可能性はもっと広がるから行くべきだ!」と、背中を押してくれる人がいまして、それで今回のハンブルク行きを決めました。
スイス航空で行ってきました。飛行機は思ったより平気でした(笑)
結論から言うと、とても貴重な経験が出来ました。建物ひとつとっても違うのはもちろん、現地で触れた1つひとつが貴重な経験になった。そして、海外の映画祭の雰囲気を肌で感じられたのは、今後作品作りを続けていくと考えた時にはこれも貴重な経験になる。
ハンブルク中央駅。基本的に昔の町並み残っている。
ストリートミュージシャンがとても上手いのにびっくり!
映画祭スタッフの友人宅にホームステイさせてもらいました。
『あまちょろ』は国内で2つの映画祭に呼んで頂いた。その2つの映画祭では決して満足できる結果を出す事ができなかった。それは主催者側の問題ではなく、僕自身の経験不足から来るものだった。初めての映画祭となった多摩映画祭ではやはり参加するだけ、、、という状態になり集客で映画祭に貢献することができなかった。
多摩映画祭での反省を踏まえて望んだ高崎映画祭では、イベントによる集客、チラシやポスターでの告知、既存メディアを使ってのプロモーションの限界点を見たと言うか、従来の宣伝方法では壁にぶつかるという事を経験した。
2つの国内映画祭を経てチャレンジした海外での上映。事前に現地に入って仕込みが出来る訳でもない距離で結果を出すには、ネットの力に頼らざるを得なかった。しかし、この割り切りが良い結果をもたらす事となった。
オープニングセレモニーでの宮田監督と下石奈緒美さん。
事前の仕込みは4つ。オープニングセレモニーへの出席。原発関連のトークセッションへの参加。上映当日の舞台挨拶、ミニライブのセッテイング。USTREAMでの配信の手配。そして、現地に入ってからは、各会場でのチラシ配りと口コミでの宣伝。ネットはFACEBOOKとツイッターでの告知。
これだけなのだが、ふたを開けてみれば100席の劇場が満席。立ち見が出るという結果。これには色んな要因が重なったのだろうが、ネットの力のすごさを改めて痛感する事となった。
『あまっちょろいラブソング』が上映された3001KINOシアター。レトロな雰囲気の映画館。
映画祭を経験して、イベントと上映があるプログラムは集客が多い傾向にある。面白いことに、やはり舞台挨拶だけよりも、結果としてライブもやった『あまちょろ』の動員が頭ひとつ抜け出した形だ。この結果はとても興味深い。国内・外問わず、映画祭が何を目的として行われるものなのか?そして、そのねらいに対してどんなプログラム編成と上映形態をとるのか?(必ずしもイベントを組む事が良しでもないだろうし。。。)という事をもっとはっきりさせる事が、映画祭自体の集客に影響を及ぼすのではないかと感じた。
3つの映画祭を経験して、映画祭を作っているスタッフの方々の熱意は例えどこだろうと変わらないってことは本当によく分かった。それを肌で感じれたのはとても大切な事だと思います。
今後の製作で映画祭を運営している方々の熱意にしっかりと応えられる様な作品作りをしていきたいと新たな決意に身が引き締まる思いであります。
ポスターにみんなの寄せ書き。
『あまっちょろいラブソング』は来月から大阪、名古屋上映。ハンブルクでの経験を踏まえてどんな仕掛けが出来るのか?僕にとっても新たな挑戦が始まることになる。
みなと応援村活動報告9
6月3日午後10時に吉祥寺を出発。今回は”みなと応援村”のHPから募集してきた2人と僕の知り合いの計4人での参加となった。持っていく物資は、傘、電子レンジ、炊飯器、ジーンズ(新品)、シャツ(新品)、等の衣類3箱。物資はしっかりとマッチングしています。地域にしっかりと根付いた活動をしているので、とても効率的で透明性のある活動になっているのではないでしょうか?
(取りまとめられたニーズに対して募集をしています。)
6月4日の午前3時頃石巻に到着。応援村で仮眠。
9時から作業開始。
先ずは明神町のSさん宅の側溝の泥かき。合計10人での作業はとてもスピード感を持って進み、午前中でその作業を終える。明神町は状況があまり変わっていない。湊町がひどいと言われているが、ここ2週間来ないうちにかなりの瓦礫が撤去されてすっきりしていたのに対して、明神町付近は確かに瓦礫は減っていたが、手つかずのお宅が多いといった印象か?
午後は今度の朝市で売る物の買い出しと、物資の搬入。そして、明友館に頼んでいた缶詰のラベルを取りに伺った。先日のブログで募集した缶詰の側面のラベルを明友館に避難されている方々が描いて下さった。そのラベルを見てぐっとくる。見た感じ小さい子が描いたであろうラベルや、年配の方のものまで様々だけど、どれも力強さが溢れていた。これは、この企画を成功させて皆さんに勇気が与えられる様な活動につなげていきたいと僕自身も改めて心が引き締まった。
(明友館避難所にて。人々の思いをつなげられる様な活動にしたい。。。)
この日はこれで活動終了。夜は市内で食事。その後、営業を再開したカウンターバーへ。少し奮発してお酒を飲んだ。お酒が入ると石巻の方と、ざっくばらんな話ができる。これも大切な時間だと思った。
6月5日
(ヤマサコウショウさんも津波によって全ての製造ラインが流されたそうだ。)
朝一で、吉野町にあるヤマサコウショウさんの商品の製造が再開したというお話を聞いて、社長さんにお会いする。少ないながらも横丁の朝市で商品をおかせてもらえないかという相談をしてきた。サンプルを頂きこの日は帰る事に。ちなみに商品は赤魚の粕漬け。焼いて食べるととてもおいしかったです。今回は酒粕に日高見の酒粕を使った物を提供してくれるそうなので、100%石巻商品になる訳ですね!すばらしい!もし仮に朝市で売ることは出来なくても、自分ところのお店では提供できそうです!
この日は湊町のIさん宅の床下の泥だし。この日も大人数で出来たので午前中には床下全ての泥出しが終わった。昼食はみんなでお庭で頂いた。もちろん作業のお手伝いも大切なのだが、こういう時間のコミュニケーションもすごく大切なのではないか?と思った。ちょうど作業をしていると東北電力の方が。どうやら電気が復旧するようだ。この時のIさんの表情が明るかったのが印象的だった。
(電気の復旧作業を見守る住民の方の様子)
(この日の作業の様子)
(おいしい昼食をありがとうございます。)
今回の活動はここまで。少し滞在日数が少なくて、もう少し、、、と思う気持ちもありつつ、無理なく長く続けるには良いペースなのかも知れない。
今回は湊地区で見掛ける他の団体さんが増えたという印象。やはり人手が多くなるとその分作業のスピードも上がるので、これが続くと良いなーって思いました。
みなと応援村には2冊のノートがおいてあります。”入村者のおもい”と”住民の方からのメッセージ”の2冊。それぞれの方向からの言葉が書き留められているこのノートの様子は、みなと応援村のホームページ(http://www.vstation.gr.jp/shinsai/index.html)で見る事ができます。
ブログでは常駐スタッフの工藤さんが日々の活動を報告していますので、興味のある方はこちらも参考になさって下さい。
今後とも住民の方に寄り添いながら、ゆったりと長く活動が続けていけたらと思っています。
ハモニカ横丁朝市で販売の石巻缶詰のラベルデザインの募集
6月19日に行われる、吉祥寺ハモニカ横丁の朝市で石巻で被災した瓦礫の中から掘り起こした缶詰を販売することになりました。缶詰は被災してしまった為にラベルがついていません。このラベルのデザインを募集致します。
(経緯)
「何か力になりたいけれど現地に行くことはできない…。でも、何かはしたいんです。」という言葉をずっと聴いてきました。僕は現地に行く事だけが復興支援ではないと思います。この東京にいたって出来ることはある。そう思いつつも、支援物資の提供や募金以外でその具体的な形は見出せずに来ました。
縁があって石巻へ行く様になった僕が上記の様におっしゃっている方々と石巻とを良い形で結びつけることは出来ないか?と、考えながら、復興のお手伝いを石巻市湊地区でさせて頂いていました。
そんな折、木の屋石巻水産さんの缶詰のお話を知りました。早速吉野町の方に相談したところ(偶然にも僕が通っていたのが木の屋さんのある吉野町付近だったのです…。)、すぐに木の屋の方と連絡がつき、200缶の缶詰を購入する事が出来ました。
津波で被災しているのを掘り起こしてきた缶詰の為ラベルが無い…。最初はこのまま売るか、自分達でラベルを付けて売ろうかと考えていました。と、ここでひらめいた訳です。この缶詰を、石巻の方と支援に行きたくても現地には行けない方々との架け橋にしてはどうか?と。
さっそく、石巻の避難所のリーダーや地域の民生委員の方に連絡をして、ラベルの絵を描いてもらえないかお願いしてみました。すると、みなさん快く承諾してくれました。
(石巻への架け橋・コラボ缶詰の内容)
1、木の屋石巻水産さんの缶詰のラベルを共同して作ります。まず、側面の部分のラベルは石巻市吉野町三丁目の皆さん、不動町明友館に避難されている皆さんに描いて頂くことになりました。
2、缶の底の部分のデザインを募集致します。2カ所のラベルをそれぞれ石巻の方と石巻を応援したい方が作ります。これは支援ではなく共同作業ではないかと思うのであります…。
3、手作りポストカードも募集致します。石巻を応援するメッセージの入ったポストカードを募集します。当日、缶詰を買って頂いた方にこのポストカードをお渡しして、側面ラベルを描いた皆さんに応援メッセージを書いてもらおうと考えています。
この3つが揃うことで、石巻の皆さんと遠く離れて応援に行けない皆さんが1つの缶詰でつながることが出来るんじゃないか?と思います。共同して作った缶詰を購入した方のメッセージがラベルを描いた方のもとに届く。これは、みんながつながっている事を現地の方に実感して頂ける事なのではないか?って思うんです。そして、この実感こそがほんのわずかでも、明日のへの力になってくれれば良いなと思うのであります。
(募集)
1、缶詰のラベル
直径8㎝の円に収まるようにデザインして下さい。手描きでも、グラフィックでも大丈夫です。プロ・アマはもちろん問いません。ただ、石巻を応援する趣旨を理解して頂いた上でご応募願います。子供さん、年配の方のご参加も是非お待ちしております!上手いとか、下手よりも、気持ちだと思います。絵が苦手なら毛筆でも良いし、クレヨン画でも、水墨画でも、何でも良いと思います!
2、手作りポストカード
官製はがきのサイズでお作り下さい。手描きでも、グラフィックでも大丈夫です。プロ・アマはもちろん問いません。ただ、石巻を応援する趣旨を理解して頂いた上でご応募願います。子供さん、年配の方のご参加も是非お待ちしております!ラベルと同じく、水彩画でも、イラストでも、文字でも、何でも良いと思います。復興を願う気持ちを通いあわせられる様なものだと良いなって思います!
応募先
応募をご希望の方はこのホームページのお問い合わせよりご連絡下さい。郵送の場合は送り先、データの場合は送信先をお知らせ致します。また質問等もこちらからお願い致します。
規定数になり次第受付を終了致します。ご了承下さい。
皆様のご応募お待ちしております。
みなと応援村活動報告8
5月18日東京出発。中野、小田原、市原で洗濯機、冷蔵庫、電子レンジをピックアップして石巻へ向かう。車の関係で家電製品は洗濯機2台、炊飯ジャー、扇風機、電子レンジ各1台に、文具、洗剤、虫除け、殺虫剤を持っていく事に。
物資の行き先内訳
洗濯機の一台は渡波栄田地区のAさん宅へ。
電子レンジ、炊飯ジャー、扇風機、洗濯機は吉野町へ。
洗剤と虫除け、Tシャツの一部は明神町で作業されている2世帯の方。
文具の一部(ノート)は不動町の1世帯。
文具、Tシャツ、洗剤は吉野町の神社で先にみなと応援村に集まっていた物資と共にフリーマーケットの様に並べて、町内の方にお持ちいただきました。
吉野町での物資配布準備の様子。
物資の中で、家電製品は抽選で行き先が決まりました。要望が出ていた文具、洗剤、殺虫剤、Tシャツはそれぞれ皆さん、お好きなものをお持ちになりました。文具に関しては、この地区では当面大丈夫です。皆さんのご協力心から御礼申し上げます。ありがとうございます。
続いて、現地の方からの依頼で明神町で自宅避難されているお宅があるという事で、その方にお会いしてきました。明神町の被害も相当ひどい状態でした。
明神町の建物。
明神町の方は夜は避難所で寝泊まりされていました。物資の配給等は受けているそうで、昼間は自宅の片付けを一人でなさっていました。まだ床下に大量の泥が溜まっていたので、早く作業を完了してあげられたらと思います。
また、この地区は満潮時の浸水が深刻です。この地区での建物の新築は制限され、リフォームのみが許可されていますが、現実的にこの状態でリフォームをして住むのは不可能に近い状態です。行政側が今後の対応をどうして行くのか?早く方針を打ち出してあげないと、前にも後ろにも身動きが取れなくなっている住民の方々のストレスも限界に達しています。
こんな状況の中で高齢者の方が一人黙々と作業をしておられる状態。ここにはマスコミ等も入っていないので、報道される事無く、自衛隊からの石灰の供給も見過ごされるという現実がありました。石巻でも格差があり、その中でもよりひどい地区の1つと言えるでしょう。人手が無く作業のお手伝いは出来ませんでしたが、常駐スタッフにオーダーを入れて、このおじいさんのお宅には、洗剤、虫除け、Tシャツ、石灰、カッパ、土嚢袋を置いてきました。
浸水の始まる明神町付近の様子。
近辺の物資配給の拠点について。
ネット上には色んな情報が流れていて、どれをあてにしてよいのかわからない部分があります。物資を集めて配給していると言う話を聞いて観に行っても、本当かどうか確認できなかったりもしました。
そんな中で不動町にある明友館は、多くの物資を在庫し、またリーダーの方がアクティブに仕切っていたので、ここはとても信用できると思いました。お近くで物資に関する相談がありましたら、不動町2−16−10明友館のリーダー千葉さんに相談すると良いと思います。エリアとしては岩手県の辺りまでカバーしているそうですので、渡波や栄田の方でも対応してもらえると思います。
『次なる一歩へむけたお手伝いのあり方』
湊町付近はとりわけ復旧が進んでいない。しかしながら前回5月の12日に見た時からわずか1週間でかなりの量の瓦礫が無くなっていた。これは恐らく重機が入っての作業があったのだろう。
目を石巻駅前へと向けてみる。湊町に比べてボランティアの数が多く見受けられるのは、商店会がピースボートと提携して断続的に人員を送り込んでいるからだそうだ。そんな中で営業を再開するお店も出始めている。
瓦礫の撤去と泥出しを進めていく反面で、少しでも地域にお金が落ちる事にも目を向けてお手伝いが出来ないものか?と考えた。物資を積んだ行きは車は満載だが、帰りは空っぽだ。これが帰りも満載になる様になると地域にお金が落ちる。
わずかではあるが、平孝酒造さんの”震災復興酒”と石巻水産さんの缶詰めを仕入れ、ハモニカ横丁の朝市で販売することになった。ほんの少し物とお金のやりとりではあるが、この小さな一歩が次なる一歩を招くお手伝いになると信じたい。この新たな出会いによるものとお金のやりとりが大きな輪となって、地域経済が循環するきっかけになればまた次なる一歩が見えてくる様な気がする。
まだまだ残っている瓦礫と問題。無心で汗を流し泥かきをしながらも、どこか頭を冷静に保ち、先回りをしていかなければならないと思う。無理をするのではなくより効率的に。この日、地元の方に頂いたお酒とお米。この小さな物のやりとりは、人と人のコミュニケーションが成立った上で、物が東京〜石巻間を移動したと言うあかし。大切なのは人と人がつながって、物が行き来したという事実で、これを原点に経済活動に発展させる事ができると言うこと。まだ、お金が動いていないというだけで、いずれはそこにつながっていくと思うのです。
平孝酒造の日高見。
河北で作ったというヒトメボレ。
『情報の選別とネットの活用法』
渡波地区、栄田地区に関してはツイッターやネット上で度々色んな情報が流れる為にとても戸惑う事が多い。こういう場合、情報の選別がとても難しいと感じた。僕は自分の中に線を引き、自分の目で見たものを第一優先で考える。
とは言え、ネットは使い方次第でとても有効的ツール。実際今回、ツイッターで大変多くの物資をお預かりした。
情報の選別とネットの活用法をもっと個人レベルで高める事で、より効率的なお手伝いが出来るのではないか?と思った。
今回訪れた渡波、栄田地区のAさん宅で伺った話。
「以前は朝に配給があったんですが、それだと前日のご飯になるというので配給の時間が夕方になりました。おにぎりやお弁当を頂いて食べております。この地区の区長さんが津波で亡くなられたので、副区長さんが行政側とのやりとりをしてくれています。ウチで物資を頂いた時には近所の方と分けております。5月の頭に電気と水道が復旧しました。」
と話しておられました。3人でお邪魔して、お茶とお漬け物をごちそうになって参りました。
渡波、栄田地区についてのお話を伺う。
栄田1区の様子。多くの家が流されていました。
今回は少し多めに写真をアップしました。テレビの報道もかなり限定的になり、この段階ではこういうブログでは写真を出していき発信する事の方が大切な気がしたからです。
引き続き、お手伝いをしていけたらと思います。
みなと応援村活動報告7
5月12日 この日は全部で7人。午前中いっぱいの作業。
9時〜 前日のブロック塀を壊したお宅の側溝の汚泥撤去。
10時〜 大門町のAさんの床板をはがす作業。
11時〜 吉野町のKさん宅の食器洗い。
14時終了。
『いっぱいのインスタントラーメンの味』
吉野町のKさん宅でお皿を洗う作業をしていた。瀬戸物は津波のせいでドロドロになっていた。それを1つひとつきれいに洗っていくという作業をしていると、「お腹空いたやろ?」(方言だったけど言い回しが思い出せない…)と声をかけてきたKさん。
しばらくすると、白菜がちょこんとのったインスタントラーメンが。「こんなモノしか出せないけど…」と言いながらKさんは持ってきてくれる。そして、「ありがとうね。」と言いながら6人全員にラーメンを手渡してくれるKさん。僕達は立ったまんまラーメンをすする。そのラーメンのうまいことうまいこと。
目の前で妹さんが流れていってしまったというKさん。ラーメンをすする僕らと話す表情から、わずか2ヶ月前にそんな悲しいことがあったとは想像がつかないくらいに明るい。一緒に作業をしている現場はほとんどの場合が笑い声と笑顔で満たされていた。それはもしかしたら、そうしていないと崩れてしまうからなのかも知れないからなのかな?と考えさせられた。
僕はこの日頂いたこのラーメンの味を忘れることはないだろう。支援というのは、何かをしてあげるという事ではなくて、そこにそっと寄り添う事なのではないか?寄り添うってことは、共有することなのではないか?時間や場所、そして思いを共有する事でお互いを支えあう事なのではないか?だから一方的に与えるだけではなくて、何かを受け取る事も立派な支援なのではないかと思った。
いっぱいのインスタントラーメンはそんな事を僕に教えてくれた様な気がする。
僕は映画を製作する活動をしている。映画だって、音楽だって、その瞬間を作り手と受け手が共有するのだ。このインスタントラーメンの味は、僕の人生観を大きく変える貴重な体験になった。本当にごちそうさまでした。
食器を洗う作業中。
津波の運んできた泥がくまなく。。。一枚ずつきれいに洗うしかない。
みんなで食べたラーメン。
ちょっと食べてから写真撮りました(笑)。
みなと応援村活動報告6
5月11日。震災からちょうど二ヶ月。改めて湊地区の町並みを見渡してみると、瓦礫の撤去が進んでいないと感じる。悪臭がたちこめ、ハエの大群が飛んでいる。風が吹くとトタンが擦れてきしきしと音をたてる。明け方に震度3の地震。揺れる前に低い音が響く。現地の方に話を聞くと「震災後の地震は地鳴りがする様になった。以前はこんなことはなかった様に思う…。」と話していた。
8時半作業開始 先ずは僕が依頼を受けて急遽大門町のMさん宅の側溝にたまったごみの片付け。B班は吉野町Sさん宅で庭木の剪定と窓枠の清掃。そしてA班はさらに二手に分かれる。A-1班は湊4丁目のSさん宅で瓦礫撤去、A-2班は吉野町のOさん宅で倒れたブロック塀の解体と撤去。
A-1班は午前中で作業を終えてB班に合流。
僕はお昼に先日家電製品を搬入したKさんのご紹介で石巻市の青果市場へ。ここで地場の野菜を仕入れて吉祥寺ハモニカ横丁の朝市で販売しようという考え。無事に話がまとまり6月19日に行われる朝市での販売が決まる。
14時46分に放送が入り全員で黙祷。町が一瞬静寂に包まれる。それまで色々しゃべりながら作業したりしていたが、みんな少しだけ無言になる。
16時30分作業終了。
19時 湊小学校の体育館で鎮魂会と称された催しがあったので参加。小学生が壇上で歌の発表会をしたあと、寅さんの上映会。まだ足もとから冷える体育館でみんなで寅さんを見る。こういう時やっぱ寅さんなんだなー。会場は少しだけど笑い声も聴こえてきていました。
上映会のあと小学校からみなと応援村まで小さなライトを頼りに歩いて帰る。夜道を歩いていると、どこのお宅が自宅避難されているかがよく分かる。そんな事を話しながら、この日合流した工藤さんと話す。工藤さんはしばらくの間、みなと応援村に常駐することになった。これで応援村の活動も少し安定してくるのではないか。継続的にニーズに応えられるのは大きな前進となった。
また、この日作業したOさんのお宅が作業に来た方に部屋を呈上してくれる事になった。ここは電気、水道が来ているので応援村より少し環境が良いので、女性スタッフの拠点になるのでは?と話す。現地の方との信頼関係が出来始め少しずつ環境が整いつつあるようだ。長いお付き合いが出来る様に、遠方からこの地区に入った方が少しでも過ごしやすくするのも大切な事だと思った。
ランタンの明かりが灯る応援村の様子。
この日の作業の様子。
青果市場。6月19日(日)7:00〜10:00ハモニカ横丁朝市にて石巻の野菜を販売!!
みなと応援村活動報告5
4月10日 東京より男3名到着、さらに、東京の某企業さんからの派遣スタッフが5名の合計10人での作業になった。
9時〜 二手に分かれて作業開始。A班は昨日に引き続き湊4丁目Kさん宅の側溝の泥すくい。B班は、Sさん宅の同じく泥すくい。
昼食中に湊中学校で物資の配布。
13時〜 A班は吉野町住宅の集会所のごみの片付け。B班は引き続きSさん宅の泥すくい。
17時作業終了。
やはり人数が多いと作業もはかどる。側溝から、大量の魚、お米が出てくる。この2つが悪臭、ハエの発生の源である。意外だったのが米。魚とは違った悪臭を放ち、たくさんウジが湧いていた。前回来たときよりも衛生状態の悪化が顕著になっていた。梅雨時をむかえる前に少しでも汚泥の撤去が進むと良いのだが、、、。
あと、湊中学校のみなと食堂のボランティアスタッフの方には頭が下がる。中学校の体育館で僕たち地域以外の人間にも「ごくろうさま」と声をかけて食事を提供して下さる。またメニューも毎回豪華で、ここは避難されている方とのふれあいの場にもなっていて僕らもこの食堂で何回かニーズを伺ったり、作業の依頼を受けた。この日も床板の下の汚泥の様子を見たいと言う依頼を受けた。これは後日対応する事にした。
湊小の炊き出しは自衛隊の方が運営されているため、地域の方以外は基本的に13時半以降に「残っていたら」という条件付きで支給される。中学校のみなと食堂も今後は、地域外の方は”カンパ”制になるそうだ。ま、当然と言えば当然だなー。
さて、1つ気になる事が。それはツイッター上やネット環境では、「石巻市湊地区衛生状態急務!やる気のある者は○×チームへ!支援物資は…支援金は…」等の呼びかけをちょくちょく見掛けるのでありますが、ホント湊地区で瓦礫撤去等の活動をしている集団ってほとんど見掛けないのです。女川街道を挟んだ吉野町では「昨日3人のボランティアさんが手伝ってくれた。」とか、赤いベストを着たチーム等も見掛けました。また、朝8時くらいには、行政ボランティアの方がバスで湊地区に入るのは見掛けます。でもホントそれくらいで、大規模な集団ってホント見掛けません。もしかしたらいるのかも知れませんが、その時はごめんなさい!
でもその書き込み等を見ると、大人数で大掛かりに派遣して地域に貢献している様な事を書いているんです。これが、取り越し苦労だったら良いのですが、実際に物資やお金をだまし取られたという事もあるそうなので、インターネットから支援等に入る場合はくれぐれも気をつけた方が良いのかも知れませんね。あまりにも、それらの書き込みと現地で作業をしていて目にする事のギャップがとても気持ち悪いので、他のグループの事をとやかくは言いたくないのですが、書く事にしました。
みなと応援村活動報告4
4月9日 午前3時湊地区入り。その後仮眠。現地入りメンバーは男5人、女1人。
朝7時に起床して、石巻市渡波栄田地区のKさん宅に中古電化製品(冷蔵庫、電子レンジ、炊飯器)、食料少々(米10キロ、みそ等の調味料)を搬入。
9時〜 湊4丁目Sさん宅の側溝の泥かき。
12時〜 湊中学校のみなと食堂で昼食、その間に支援物資の配布を行う。いくらかのニーズが入る。
13時〜 再びSさん宅にて汚泥撤去作業。
16時作業終了後、男3人女1人は帰京。僕を含めた男2人がみなと応援村宿泊。
先ずは今回初めて、自宅避難者の方と連絡を取り合い物資の搬入が出来たのは大きかった。実際、数日前に電気が復旧したばかりで、家電製品が全くないというタイミングだったのでなおさら。近隣には3〜4世帯が自宅に戻っていた。
このKさん宅に物資を配布すると、近隣で分けるそうなので、拠点が1つ出来たという事になる。また、夜にはKさんにご招待いただきお茶会。津波の襲ってきた瞬間の話や現状。そしてこれからについてお話がきけたのは非常に為になった。
今後石巻市は各地区を線引きして、商業ゾーン、工業ゾーン、水産加工ゾーン、居住ゾーンに大まかに分けての再開発となる模様。この線引き次第では、今後居住禁止区域が出てきたり、新築禁止等の新たなルールが出てきて、それが被災者の方の復興に大きな影響を及ぼすことになりそうだ。物資の不足、衛生問題等に加えてこういった問題もこれから表面化してくるだろうなー。しかし、この限られた区域の中でも、格差が出てきている。ライフラインの復旧のスピード、瓦礫撤去のスピードなど。湊4丁目付近はとりわけ復旧のスピードが遅い様な気がする。これは今後の急展開を暗に意味しているのか?そうでない事を祈るが、、、。
今回は作業中のものに限って少し写真を掲載したいと思います。
少しずつ黄色いジャンパーも町に馴染んできたかな…(笑)。
みなと応援村、松江班活動報告3
やっぱりちゃんと報告をしとかないといけないなーなんて思いつつ、更新が途切れてすいません。
さて、今回は、
A班:5月8日夜吉祥寺出発〜9日〜10日〜11日夕方石巻出発 2人
B班:5月9日夜吉祥寺出発〜10日〜11日夕方石巻出発 3人
C班:5月8日夜吉祥寺出発〜9日夕方石巻出発 4人
の合計9人で、石巻市湊町付近の汚泥撤去、吉野町付近の清掃作業に行ってきます。
頂いた支援金の中から
炊飯器、トースター、米10kg、ミネラルウォーター、のり、みそ、わかめ→石巻市渡波地区のKさん宅と直接連絡を取り合い搬入することになりました。
土嚢、軍手→作業に使います。
子供達が体操着を入れる袋用の布→体操着入れ100枚を作成し石巻市湊中学校の避難所にお持ちします。
を購入致しました。
さらにご支援いただいた物資は
長靴20足、スニーカー5足(それぞれ新品)、子供服少々、文房具(全て新品)、漫画本(サザエさん全巻)、傘10本、雨合羽→石巻市立湊中学校の避難所にお持ちします。
冷蔵庫、電子レンジ→渡波地区のKさん宅にお持ちします。
本日は渡波地区のKさんとお電話しました。「電気が復旧して少しずつ自宅に戻って生活を始める人が見え始めたが、家電道具が流されているのでなかなか日常生活に戻るには難しいだろう。」との事でした。ゴールデンウィークで瓦礫は結構片付いたそうですが、どこを基準にして片付いたかによって印象は変わりますので、また現地をこの目で見たら報告したいと思います。
また吉野町(湊小付近)のK・Iさんともお話をして、「物資は充分に足りているので大丈夫との事でした。」以前ここで書いた集会所はすでに掃除が終わったそうです。こちらも現地を見て報告したいと思います。
石巻に通い始め、みなさんに物資をお願いをする様になってから向こうに行くのは今度で3回目になります。これまでに57人の方から支援物資をお持ちいただきました。、支援金もまだ計算をしていませんが10万円近くの金額に達しています。心からお礼を申し上げるとともに、このようにしてお金や物資を預かった以上しっかりと報告をしていきたいと思いました。ブログという特性を考え、意図的に写真の掲載はしておりません。
写真をつけた活動報告も作成しております。こちらご希望の方はこのホームページのお問い合わせからご連絡下さい。郵送でお送り致します(ただしご支援いただいた方に限らせて頂きます)。
それでは、次回は石巻から戻りました12日以降にご報告させて頂きます。
































































